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良枝 小林

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りんこ猫の日々

りんこ猫の気になるものや、好きなものをお話します。
July 02

物騒な世の中

こんにちわ。りんこです。
 
今日は一日中いまいちなお天気でしたね。
昨日のうちに無理矢理洗濯を干していたので
半乾きで取り込んだものも部屋にかけておくだけで
丁度いい塩梅に乾いてくれています。
 
何となく不都合と感じる様なことも
結局は普段とは違うんだと言う
環境の変化を早くに察知し
それに適応させることで
だいぶん不愉快に思うことが減ります。
 
雨が降ったら快適な部屋干しの方法を研究する
と、こういった具合に 笑
 
相変わらずのお気楽生活です 笑
 
さて、今日は働いていた会社では特に
仕事でのおつきあいはなかったのに
なんでか今も連絡を取っている
ママさんと会ってきました。
 
彼女は東京支社史上初の育休取得者であり、
復帰したのですが、
正直なところ、会社の育児に対しての不理解により
会社をクビになった
なんとも波瀾万丈の方です。
 
育休の際、会社側は全く彼女と連絡を取らず、
社内の近況なども全く知らせずに放置。
これはあんまりではないかと思った私が、
個人的に彼女に社内の近況を報告するようになり、
それからなんとなく連絡を取り合うようになったのです。
 
なんだかんだ言ったって、
女が社会で働けるような世の中ではないと思うわけです。
 
こう言い切ってしまうのも厳しいモノですが、
建前なんかを外したら、
会社から育児のサポートを受けられる幸運な方って
そんなに多くないのではないでしょうか?
大企業は未経験ですが、
友人は大手の人事をやっておりますが、
その本人でさえ女性として働くことの苦しみに
頭を抱えていますから 苦笑
ちなみに彼女はまだ子供はいませんが
子供を産むタイミングが全く見えないと、
キャリアを捨てるしかないのかと、
悶々としています。
 
たまに、才能があれば
どんな年齢になったって引き合いが来るモノよ
と、おっしゃる方もいらっしゃいますが、
それが女性としての唯一の働き方かと思うと
それはそれで切なくもあり。
 
私がここでこまこまいう以上に
途方もなく複雑な問題ですね。
 
そして、そのクビになったママさんですが、
育休で出産、育児をしていた長男の他、
数ヶ月前に女の子を出産し
あっという間に二児の母になっていました。
 
年子。うらやましいです。理想です。
 
そのママさんが
「この子が生まれて二ヶ月くらいの時かしら・・
 オムツを替えているときに
 あぁ、この子が誰かにいたずらされたり
 変質者に会ったり、
 ましてや、それで殺されてしまったりしたら
 どうすればいいのかしらって
 たかだか、二ヶ月の子よ?
 こんな小さな子を見て
 母親がそんな心配をしないといけない
 世の中になったのよね。
 私どうしたらいいのかしら!!!」
そういって、両手でくるんとその女の子をだっこして
頭をくりんくりんしながら、ほっぺたをくっつけていた。
 
女の子を持つ親は気が気では無いと言うが、
それもそうだよなぁ。と思った。
 
とあるアダルトグッズなどをポップに販売するお店。
マニア向けのAV(コスプレ、タイツなど)が陳列される棚の前には
DVD写真集という名でランドセルをしょった少女達の
DVDが並んだ棚がある。
一時、取り締まりで減ったのに、
それがしばらくするとまた増えたりする。
それは確実に需要があるからではないか。
 
ともすると、幼稚園に通うような年齢ともなれば
恐ろしいことにそういった対象として
少女達を見ている人がいないワケでは無いということ。
 
なんとも悲しい世の中だ。
そして、恐ろしい。
 
笑顔で映る少女達の写真がパッケージを飾る。
それを購入する人もいるし、
それを制作する人もいる。
そして、それを制作するに当たって
素材を提供する人がいる。
素材は少女達であり、
おもな提供者は親であろうか。
 
この世の中は物騒だが、
静まる気配はあまり感じられない。
 
 
 
 
July 01

つくりばなし『掃溜菊』

 先生、先生はそれを覚えていらっしゃいますかしら。私が小学校6年生、放課後のクラブ活動、学校の側の小山にみんなで登って夏休みの課題について先生がご説明されていたときのこと。
「どうだ、みんな、掃きだめに暮らす可憐な少女。土屋のようじゃぁ、ないか。」
5.6人の生徒が鈴のようにしゃんしゃんと笑った。私はそれを気の遠くなるような顔をして眺めていましたの。本当に倒れ込んでしまいそうなくらいびっくりしましたのよ。先生にはそれが、全くおわかりにはならなかったのでしょう。
「どうだ、土屋、とても綺麗な花だろう?」
そう言って私の前に摘んだ雑草を差し出した。ちんまりとした白い花を咲かせた小さな雑草。
「ありがとうございます。」
真っ赤な顔をしてうつむく私の肩に太い腕をを回して、先生は私の胸に手のひらを置いた、確かに私の小さな胸に、断ることさえ出来ないくらいかすかに触れていましたわ。
「さあ、みんな、覚えたね。この雑草の名前は掃溜菊だ。こうやって、自分たちの身の回りにある草花や虫、そう言ったものを自分で調べてまとめてくるように。」
私の肩に手をかけたまま生徒に向かってこういうと、見上げて聞いている私の顔を見下ろしてにっこりと笑みをたたえてらした。
 私は先生に握らされた掃き溜めと可憐な少女の烙印を、これでもかと言うほど緊張して握りしめていましたの。胸にかかった手のひらをどかそうにもどかせない喉に詰まった言葉を絞り出すに絞り出せない、そのもどかしさをこの花を握りしめることで忘れていましたの。母が病で亡くなったことも、父が仕事もなく毎日お酒におぼれていることも、生活の破綻した暮らしの中でゴミに囲まれた家からぼろ切れを纏った顔のすすけた私が毎日欠かさず登校することも、先生の手のひらも、可憐な少女と言ってくださった先生なら私のことをわかってくださるのではないかしらと、感動とさえ言える喜びをこの花を握りしめては感じ入っていたのです。
 先生は、私の欲しい言葉を時々与えてくださった。ただ、ただ、「わかるよ。」「寂しいんだね。」と、時に頷いてくださった。
 放課後私一人を教室に残して、他の生徒が下校したのを確認してから先生は教室にいらっしゃいましたね。優しく声をかけて「わかるよ。」と頷きながら私の長く洗っていないこわばった髪や、すすけた首をなでてくださった。ぼろを纏った腰や、プリーツのとれたスカートから覗く足をさすってくださった。
 ある日クラスの女の子達が先生が私のことを贔屓目に見ていると言いがかりをつけてきましたが、私は先生がおかわいそうに思えてなりませんでしたわ。私のことなどで先生が悪く言われているのだと思うと私がどんなにか悪いことをしているようで申し訳なく感じましたの。
 でも、先生、私、気のつかないふりをしておりました。先生は私にこういって欲しくて私をかわいがってくださったのでしょう。「わかるよ。」「寂しいんだね。」と。先生が子供の肌に興味があることも存じてましたのよ。ただ、そのように認識してしまっては私と先生の関係は潰えてしまうということも、存分に承知しておりました。先生、私は先生の手のひらを忘れることはありません。背徳感に満ちたその手のひらを。その手がそれでも私には必要だったのです。私を唯一感じてくれる、私を唯一必要としてくれる手のひらとして、その時の私の絶対のものだったのですから。
 先生、あの時から、随分と経ちますがお元気に過ごしていらっしゃいますかしら。この季節になりますと、道ばたの花が気になって仕方がありませんの。いつ眼に入ってしまうのではないかとそれは気にしながら歩いております。掃溜菊が目に入ったら、私の涙はとどまるところを知らないのですから。
 先生、いつか、いつか、お会いする時が来るのでしょうか。あの時の笑顔で私を迎え入れてくれるのでしょうか。先生、あの時の私は悪い子だったのでしょうか。誰かに愛されたいと願い、愛されていると信じることは罪でしょうか。私は、先生を愛することが出来ていたのでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 

あいみつ

こんにちわ。りんこです。
 
こういったことの一つ一つが
この生活に慣れてきた証なのかもしれない。
 
最近、お客様がいらしたり、
逆に私がお客に行ったり、
友人に美術館に誘われたり・・
何かと予定が入り、
忙しく過ごしてました。
 
今日は久しぶりに予定のない日で
今は緑茶に庭のミントをつまんで入れた物を飲んで
ゆっくりとパソコンに向かっています。
 
いつもと変わらずに洗濯物を済ませて
日も射さない庭に
山ほどの洗濯を干しました。
季節がら、
そろそろ虫除けのオイルでも調合しようかと思います。
洗濯を干している間にも
何カ所か蚊に刺されてしまいました。
 
そういえば、
蚊の針は使い回しってCM
あのコピーはどうかと思いますね。
切り口も冴えていないし、
倫理的にもどうかと思う。
不景気とは言うけれど
もう少し気の利いたモノを流して欲しいと思う 苦笑
 
さて、
先日、近代美術館の常設を見てきました。
相変わらず素敵な3階です。
(2階の現代美術は私には理解不能 苦笑)
大好きな須田國太郎をみて、
あぁ、なんて素敵なのかしらとうっとりしたり、
あいみつの眼にひたすら見つめられたり、
熊谷守一をみて、何となく悲しくなったり。
 
以前この美術館であいみつ展が開かれた。
さまざま、企画展を見てきたが、
本当に天才なのではないかと、
心から思った画家の一人で、
戦地から日本に戻ることなく
逝ってしまった無念さを思うと
心が苦しい。
 
私は戦争画を描くことは出来ません
と、戦地で求められても
戦争がを一切描くことの無かった人。
 
当時の背景を持ってして
画家の役割が
戦争を大々的に描くことが
ある種の主たる仕事となっていた様な
そんな時代にあって
それを受け入れることなく
戦地で病に苦しみ亡くなっていったあいみつ。
 
戦争の世を生き抜くには
あまりにも繊細な男であろうと思う。
 
それほどまでに彼の作品は緻密で繊細。
そして、本質を見抜く。
 
彼の作品の中にライオンを描いたモノがある。
ベージュのベースに水滴の様な淡いベージュが
ぼかしてある。
ライオンのボディーは見あたらないが
それがライオンであることははっきりとわかる。
その絵を見て、私は爆笑してしまった。
 
「そうだよねぇ。
 ライオンってそうだよね!!」 と 笑
 
なかなか言い尽くしがたいが
その絵は見た瞬間にライオンであるのに
やり過ぎと言うほどにライオンを埋没させている。
ピンポイントでライオンの鼻を淡くにじみ出させることによって
ライオンの全体像を見たモノの頭の中で再構築させるのだ。
キャンバスに描き尽くされたライオンよりも
私たちの頭で構築し直されたライオンは
存分に自由で活き活きとしている。
当然のことといえる。
おのおのが持つライオンのイメージ
それがよみがえるのだから。
 
実にライオンを見尽くした人のかくものだと思った 笑
 
訴えかける絵というのはこういう絵のことを言うだろう。
 
彼の代表作である「眼のある風景」も
まったく違ったタッチのようにおもえるが
要は同じこと。
コチラの絵は
どこから見ても
見る側と目が合ってしまう。
 
展示作品を頭から最後まで
なめるようにみると
この人の悲しみを感じることになる。
 
子供の頃に描いたという人物画はまさに
天才としか言い得ないような
素晴らしい出来である。
それから、ライオンに眼のある風景、
そして後期描いたあらゆるスケッチ
鳥と魚がフュージョンしているモノや、
帯にかかれたモノ。
 
言い方は悪いかもしれないが
悲しいかな器用過ぎる。
時代によって随分と作風も変わる。
才能をもてあましている感。
飽きっぽいのかしら、とさえ感じてしまう。
 
39歳で亡くなった彼に
晩成などどいう時間の余裕は無かったのだから、
本当に、彼がもっと長くいきることが出来たら、
どんなに素晴らしい作品が残ったのだろうと
悔やまれてならない。
 
近代美術館の常設に眼のある風景と一緒に
彼の自画像が飾ってる。
少し、芸能人の照英さんに似てる 笑
 
とにかく、この美術館は絶品です。
 
週末は恵比寿の写真美術館に行ってきます 笑
 
かつかつな家計の中でも
彩を忘れずに!
あ、ボーナスが出たって
主人が言っていたっけ。
不景気なのにありがたいことです 笑
 
清貧
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
June 25

私の庭の熊楠

こんにちわ。りんこです。
 
ここ最近せわしなかったし、
その都度に鈴のように
小さく響かせながら
とやかく考えては
様々思考を巡らしていた。
 
打てば響くとでも言うような
そんなたいそうな物でもなく、
つまり、鐘の様に大それた物では
決して無く、
あくまで鈴がしゃりしゃりと鳴る程度のもので
目の前に落ちた花びらを
風がすくう様に
目の前を通っては感じ入り
その場で忘れてしまう
些細な物。
 
どうしてやれば
そんな繊細な絹糸を
より集めることが出来るのだろうと
たまに思い返すが
その都度メモを取るのも
なんだか野暮な気がして
躊躇われ 苦笑
 
自宅を数日間離れていたので
私のお気に入りの小さな庭に
しばらく足を踏み入れていなかった。
 
今まではしそやバジルに主に
ついていたベニフキメイガの幼虫が
どうやらアップルミントにも被害を及ぼしている模様。
 
なにしろ比較的栽培しやすいと言われている
ミントの首をかってに折ってくれている(摘芯)わけだから
今更言い逃れのしようも無かろう 笑
外の植木鉢にさしている古い箸で
丁寧に幼虫をつまむ。
スコップで小さな穴を掘り、
そこにつまんだ幼虫を放って
埋めてしまう。
 
ついでに
だいぶん茂ってきたバジルの
土に近い部分の葉を
風通しを良くするために
多少むしった。
葉の裏にはびっしりと綺麗に並んだビーズのような
恐ろしいことに
何かの卵が・・。
 
コレも同じように土に埋めてしまった。
 
シソの大きな葉の裏にまた、幼虫がいるのではないかと
葉をひっくりjかえすと
ここにはヨコバイの抜け殻・・ 苦笑
 
私が数日この庭に足を踏み入れなかった間に
随分とたくさんの横暴を
虫たちは繰り広げてくれた様です。
 
しかし、よく見ると
摘芯されたミントは刈られた当たりから
新しい芽を出し始めていたり、
シソ自体の幼虫の数はだいぶん減っていたりと
なんだか、悪いことばかりでは無いようです。
 
庭に出て
何時間でも虫やら植物やらを
観察していますが
その都度、私は
熊楠の事を思います。
 
彼もきっと
こうやって
まじまじと植物を眺めては
共生について、
エコロジーについてと、
多動的に物事を考え続けていたのだろうと
思うのです。
 
彼ほど利口では無いのだけれど
私も
庭を見ては思うことがあり、
楽しい思考も
所々通り抜けます。
 
それを彼の様に
書物にまとめたり
人に話したり、
そう言うことは
そんなに上手にはできません 笑
 
 
 
 
 
 
 
June 19

バジルの覗き穴

こんばんわ。りんこです。
 
主人は今日も終電での帰宅。
そんな忙しいのに明日から
大阪に出張、っていうか、
取材だそうで。
本当に
どこかの血管が切れちゃうんではないかしら・・
 
さて、
そんな中、さっきまで夕飯の準備をしていて、
後はお米を炊くだけ。
それは主人が帰ってくる時間が確定してからにすることにしている。
結局、いつかえってくるのか
わからないので。
今日は「オムレツイタリア風ソース」と銘打って
トマト系ソースをただオムレツにかけるだけなのだけれど
それに使用するバジルを数枚、
庭から採取しておいた。
 
本当はサンマをイタリアンにしてトマトソースで食べたかったのだけど、
なんだか、衣をつけてあげても
何となく少し青魚な感じがぬぐえず、
「カジキマグロのようにはいかないわね・・ 苦笑」
と、まあ、ここは金額の差もある。
文句は言わずに、素直にメニューを変更することにした。
現在、見事な竜田揚げ状態だが、
これで主人が蒲焼きがいいと言えば
甘辛く煮て焼きすれば問題ない。
あぁ、スイートチリも合うかもしれない。
あ、問題と言えば
イタリアン予定だったから
そもそもちょっと下味がスパイシーなところかしら。
でも、ニンニクって、醤油とも相性がいいから 笑
 
それで、もともと先に作っておいたトマトソース
これも、ソースというか、ラタトゥーユといえば
そうかもしれないという感じのトマトの野菜煮込み。
これは、卵の上にかけることに変更し、
バジルもこの上に鎮座なさる事となった。
これが、「オムレツイタリア風ソース」 笑
オムレツはとろとろが好き。
 
それにしても、
バジルよ・・。
なんで、こんなに見晴らしがいいのだろう。
随分と先の見通せるバジルじゃあないか。
なんなんだい?この葉っぱは。
マシンガンにでも打ち抜かれたみたいじゃないか。
 
憎き・・
憎き ベニフキメイガ 苦笑
 
もう、すっかり見慣れてしまったベニフキメイガの幼虫。
酷いことに
勝手に摘芯してくださる 泣
 
私も虫と葉っぱのやりとりを楽しんでいたので、
長らく放置してきたが、
さて、夏も盛りになる前に、
ベニフキメイガ退治にでも乗り出そうかしら。
 
バジルはまだいい。
穴は開いても比較的元気。
それより、
シソの葉が大変なことになっている。
2種類のシソがあるが、
片方には目もくれず、
柔らかい品種ばかりをもりもりと
よーく食べる上に、
さらに勝手に摘芯してくれる。
腹立たしい。
 
本当に、虫って素直だなぁっておもう。
かなり的確に、
柔らかい葉だけを選んで食べてる。
 
と、たしかに面白いが
こう、感心してばかりいたら、
私の食べる分までなくなっちゃう 笑
 
バジルとヤロウの間に数日前に落っこちていた
モンシロチョウの亡骸、
何日で跡形もなく解体されるのだろうと思っていたら
一夜明けて胴体部分のみなくなり
数日経った今も羽は2枚きっちりそろったまま
地に落ちている。
うちの庭にはモンシロチョウの食べるものなんかないのに
とおもうと、
足下で穴だらけの雑草に
理科の教科書でみた様な青虫がくっついていた。
コレがモンシロチョウの幼虫だろうか。
 
毎日私の庭は
非常に陽気だし、
日々変化している。
 
 
 
 
 
 
 

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